杜(MORI)のティールーム

杜の都、仙台に事務所を構える杜協同法律事務所のスタッフたちが綴るリレーエッセイ

美術館 (y)

 美術館が好きだ。美術館がもっている独特の雰囲気のなかにたたずんでいるのは心地よい。好きな画家の作品が並ぶ美術館には数年おきに訪れた。こちらは学生だったり社会人になっていたりと環境が変わっていても、好きな作品が同じ場所にあるのを見ると何だかほっとした。美術館によっては、見終わった時にすごく疲労していることに気づくこともある。芸術のことはよく分からない、でも著名な作品というものは、それ自体大きなエネルギーを宿していて、見る側も神経や体力を消耗するような気がしている。倉敷にある大原美術館も、そんな美術館だった。その大原美術館の企画展が宮城県美術館で開催されている。
 もうずいぶん前になるが、大阪の祖父母の家を経由して倉敷を訪れたことがある。祖父が一人旅を心配しながらも、大原美術館に行くのなら、ある絵をみてきてほしいのだと、その絵の様子をいつになく真剣な面持ちで話してくれた。そして、美術館の近くに蔦のからまったすてきな喫茶店があるからそこでお茶でも飲んでおいで、と送り出してくれた。祖父の言っていた絵は『信仰の悲しみ』という作品だった。私の目には寂しげにしかうつらないこの絵を、祖父はどの様な思いで見つめていたのだろうか。あの絵が忘れられないのだといった祖父の言葉を思い出しながら、すすめてくれた喫茶店で休憩した。
 その祖父は87歳になる。先日体調をくずしている祖父を見舞った際、大原美術館展が仙台で行われることを話すと、「それは、ええなあ。いい絵がたくさんあるからなあ」と、昔仕事で倉敷を訪れるたびに大原美術館に寄ったことを話してくれた。バリバリの企業マンだった祖父は仕事の思い出話をする時、いつも誇らしげに目が輝いて、そんな祖父を見るのがうれしかった。
 企画展に行けば、きっと出展作品の絵葉書や図録があるだろう。祖父に送ってあげたいと思っている。